そんな親なら捨てちゃえば?

家族と縁を切る…そんな選択肢があってもいいよね。

私が毒父以外の家族とも距離を置き続ける理由。

こんにちは。

Kです。

 

私は現在、訳あって父親とだけ絶縁しています。

父親とは一切連絡を取っていません。

ちなみに、父親以外にも家族が3人います。

母親(A美)、妹2人(B子、C子)です。

彼女たちとは絶縁はしていないので、連絡を取ったりすることはあります。

 

家族とこういう関係になっている方、意外といらっしゃるのでは?

家族全員と絶縁してるわけじゃないけど、家族のなかにどうしても許せない人がいる。

 

家族のなかで1人だけ仲悪い人がいる場合、他の人との付き合い方にも悩みますよね。

特に冠婚葬祭とか。年末年始の帰省とか。

 

これは私の意見なのでこれが正しい!というわけではないですが、

私は毒父は言わずもがな、彼女たちとも意識して距離を置くようにしています。

 

それはなぜか。

毒父と私が揉めたとき、彼女たちが味方になってくれなかったから

です。

毒親と揉めたとき、他の家族が味方になってくれないとかなり心にダメージを受けます。

毒親のことで辛い思いをしているのに、他の家族の誰も味方になってくれなかった、ということで二重に苦しむことになります。

 

なので家族のなかに絶縁した人がいる、または絶縁したいほど許せない人がいる方…

⇒万が一のことを考えて、他の家族ともあらかじめ距離取っておいたほうがいいよ、というのが私の意見です。

これから毒父以外の家族と距離を置くことになった私の過去を書いていきたいと思います(^^)/

 

 

1.母親(A美)と距離を置いた理由

6年前のある日、私は毒父から暴力を受けて家出しました。

家に帰れずドミトリー(格安宿)を転々とする日々。

そんな日々を送るなかでA美から言われたこと。

「とりあえずあなたが謝っちゃえば?」

 

…ん???

暴力を受けたのは私なのに、なんで私が謝らないといけないの???

 

この一言は、6年経った今でも忘れられません。

A美としては、娘である私が謝ればとりあえず丸く収まると思ったのでしょう。

実の母親であるA美をどうしても信用しきれないと思ってしまうのは、私がこの一言を忘れられないからだと思います。

 

2.次女(B子)と距離を置いた理由

私が毒父から暴力を受けたあと、B子に言われたこと。

「私はお父さんに金銭的に援助してもらったから、お父さんのこと嫌いになれない」

「お姉ちゃんとお父さんどちらの味方にもなれない」

 

…いやいやいや。

確かに私たちの父親は学費などは概ね支払ってくれました。

それはとてもありがたいことです。

でも。

「暴力をふるう」というのは間違いなく悪いことなのに、B子は私の味方をしてくれないの?

妹だから少しは私の気持ちを分かってくれると思ってました。

でもそうじゃなかった。

 

3.三女(C子)と距離を置いた理由

C子は当時、大学生でした。

当然、就職活動も控えています。

そんな状況のC子に言われたこと。

「お父さんが逮捕されると私の就活に関わるから、警察行ったりしないでね」

 

…もう何も言えませんでした。

私は毒父から暴力を振るわれたことを警察に相談しようかと頭の片隅で思っていました。

でも親が警察沙汰になったと知れたら、もしかしたらC子の就活に影響するかもしれない。

 

C子にとって当然の主張だと思います。

私も結局警察に行くことはありませんでした。

でも、私はC子と距離を置きたいと思ってしまいました。

 

4.家族だからといって、100%味方になってくれるとは限らない

6年経って彼女たちの発言を思い出してみると、「そんなに気にすることでもなかったのかな」と思ったりもします。

きっとA美もB子もC子も、自分の発言を覚えていないでしょう。

 

でも。それでも。

毒父から暴力を振るわれて家出し、行くあてもなく彷徨っていた当時の私。

そんな私にとって、母や妹が味方になってくれなかったことは本当に辛いことでした。

「家族ですら味方になってくれないなら、一体だれが私の味方になってくれるのだろう」と絶望感でいっぱいになりました。

 

母や妹とは、今ではたまに連絡を取ったり年に数回は顔を合わせたりしています。

一緒に笑い合うこともあります。

でも、どうしても心の底から信じることができないのです。

これからもきっとそうだと思います。

自分のなかで一線を引いて「いざとなればいつでも縁を切れるんだ」と思いながら付き合っていくでしょう。

仕方のないことだけど、自分の心を守るためにはこうするしかない。

そう割り切って生きていきます(^^)/

 

だから皆さんも、家族とは一線を置いて付き合っていきましょうね。

毒親かどうかはあなたが決めていい。

こんにちは~

Kです!

 

突然ですが、「毒親」というワードからあなたはどんな親を思い浮かべますか?

仕事もせず昼間から飲んでいるようなアルコール依存症の親?

それともパチンコで生活費を使い果たしてしまうような親?

 

確かにどちらも「毒親」だと思います。

でも、私の毒父はアルコール依存症でもギャンブラーでもありません。

それどころか専門職に就いており、年収は2000万円を超えるような人です。

私が大学に進学するまでは学費もしっかり払ってくれました。

 

それでも、私は「父親=毒親」だと認識し、絶縁しました。

なぜか。

それは、私という人間を否定してきたから

です。

(どう否定してきたのか、具体的な話はそのうち書きたいと思います。)

世間的に見れば、良い父親かもしれません。

「育ててくれたのに恩知らずだね」「学費まで出してもらったのに絶縁するの?」と私も親戚に言われました。

それでも、私は私の人生の選択を否定されたことが本当に耐えられませんでした。

だから絶縁しました。

(どう絶縁したのか、具体的な話もまた後日…(;'∀'))

 

だから私は声を大にして言いたいです。

毒親かどうかはあなたが決めていい。

親と一緒にいることが辛いなら絶縁していい。

「こんな些細なことで絶縁したくなるなんて、私って親不孝だな」とか思わなくていいです。

世間の「毒親はこういう人間」という基準にとらわれないでください。

 

この記事が毒親との関係に悩むあなたに届くことを願っています。

【実体験】毒親と絶縁してよかったことシンプルに4つまとめた。

こんにちは~

Kです!

 

突然ヘビーな話で申し訳ないのですが、私は毒父と絶縁しています。

(母親とは距離を取りつつも交流はしているので、絶縁しているのは父親だけ。)

正直、絶縁するまではめちゃくちゃ悩みました…

「親と絶縁するなんて世間的にどう思われるだろう」とか「私って親不孝なのかな」とかいろいろ考えてました。

でも、今は毒父と関係を切ることができて、心からホッとしています。

 

というわけで、今日は毒父と絶縁してよかったことをシンプルに4つにまとめてみました。

毒親ブログとか見ると、自分の親がどんなに酷いかを延々と書き綴っている人もいらっしゃるのですが。

あれ他人が見るとあまり気分良いものではないな~と思っています。

なので私の父親がどんな点で毒親なのかとかそういう話は置いといて、シンプルに「毒父と絶縁してよかった!」と思うことだけを書いていきます。

 

毒親と絶縁するかどうか迷っている人

・絶縁したら幸せになれるのか知りたい人

はぜひ最後までご覧ください(^^♪

 

1.体調が良くなった

毒父と絶縁した後、なぜか体調が少しずつ良くなってきました。

これまでの私は、日によって体調の波があって大変でした。

「めっちゃ元気!家事も遊びも何でも来い!!」みたいな日もあれば、朝から体が重くて1日中ベッドにいる…みたいな日もありました。

それが、少しずつ安定するようになってきたんです。

 

そして私は幼い頃から頭痛持ちだったんですが、絶縁後、頭痛を感じる頻度が少しずつ減ってきました。

これはすごく嬉しかったなあ。

 

2.「死にたい」と思うことが減った

これまでの私は、時々無「死にたい」という気持ちになることがありました。

「いつか父親と会わなきゃいけない日が来るのかな」と思ったり。

「父親が生きている限り私は幸せになれない」と思って絶望した日もありました。

「この先父親に会わなきゃいけない日が来るならもう死んじゃいたい」と何度思ったか。

でも絶縁して「もう二度と父親と会わなくていい」と思えたことで、自然と「死にたい」という思うことも減りました。

 

3.夫との関係がさらに良くなった

私の夫はとても優しい人で、私の愚痴を何でも聞いてくれるような人です。

そんな夫に甘えてしまい、私は絶縁するまでずっと父親の悪口を夫に話していました。

あとは父親のことを思い出してイライラして、そのイライラを夫にぶつけたり…

 

でも絶縁したことで、私から夫に父親の話をすることが減りました。

たぶん絶縁したことで「あの人はもう赤の他人だ」と思えるようになったからだと思います。

そう簡単に割り切れるものではないですが、徐々に「父親」ではなく「赤の他人」だと思えるようになってきています。

これから夫との関係を大事にしていくためにも、父親とは絶縁して本当によかったと思っています(^^)

 

4.義理の両親を大事にしようと思えた

私の場合、「父親と絶縁したい」ということをまず夫に相談しました。

その後、夫の両親(私にとっては義理の両親)にも話しておこうということになり、義実家に夫と2人で向かいました。

夫は自分の両親ととても仲が良く、かといって親子でベタベタしているような関係でもなく、私はいつも「本当に暖かくて素敵な家族だな~」と思っていました。

でも、そんな暖かい家族だからこそ、私の「父親と絶縁する」という決断は受け入れてもらえないんじゃないかと私は思っていました。

義理の両親に「親と絶縁なんて、人としてあり得ない!」と思われるかも…とかなり怖かったです。

 

でも義理の両親は私と夫の話を聞いた上で、私の「父親と絶縁する」という決断を尊重してくれました。

「ゆきほちゃんが幸せになることがまず一番やけんね」と言ってくれたんです。

 

本当にホッとしたし、思い切って話してよかったと心から思いました。

そして、自分の父親を大切にする代わりに、これからは義理の両親を本当の親だと思って大切にしていこうと思いました。

 

5.まとめの代わりに独り言

まとめの代わりに独り言で失礼します。

 

親との関係って難しい。

縁なんて簡単には切れないし、そもそも日本の法律じゃ正式に「絶縁」はできないらしいし。

でも親との関係で悩み、「いっそのこと死んでしまいたい」とまで思うなら、それはもう絶縁すべきだと個人的には思います。

だって自分の人生と命がいちばん大事だからね。

親がいちばんじゃないですよ。

自分がいちばんなんです。

自分が安心して生きられないなら、親と関わるのが辛くてしょうがないなら、もうその関係は続けるべきじゃないと私は思います。

 

この記事がもし、どこかで悩んでいる誰かの参考になれば、こんなに嬉しいことはありません。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

 

毒親育ちは人生詰む確率高し。『東京貧困女子』を読んで。

こんにちは~

ゆきほです!

ブログすっかり放置してました。笑

 

さっそく本題に入ります!

今回ご紹介する本はこちら。

『東京貧困女子』

 

読み終わって何とも言えない暗い気持ちになりました。

この本に出てくる女性の多くが、毒親持ちであること。

そして毒親のせいで、彼女たちの人生の早くから歯車が狂い始めていること。

私も毒父のせいで人生の歯車が狂ったのは、23歳のときでした。

毒父との間にあったことはトラウマですし、精神科ではPTSDと診断されたこともあります。

そんなトラウマを抱えて生きていかなければいけない悔しさ。

 

そして貧困女子たちのように、自分もいつ貧困に堕ちるか分からないと思いました。

私は結婚し、今は幸運なことに貧困状態ではありません。

でも、それはいつ崩れるか分からないし、貧困に堕ちたとしても助けてくれる人はいないということ。

いざとなれば親が助けてくれる人が羨ましくて、今普通に働いて生活している人が羨ましくて妬ましくて…そんな気持ちになりました。

 

私が毒父と絶縁してよかったと思った話はこちらから⇩

yu-kiho.hatenablog.jp

 

本の中では、父親の借金を返すために風俗で働いてる女子大生が出てきます。

こんな父親、マジで毒父以外の何物でもないと思うんですけどね。

なんで彼女は父親と絶縁しようとしないのかなあ…

 

ちなみに、彼女は将来保育士になりたいそうです。

「自分が親からもらえなかった愛情を、ほかの子どもにあげられたらいいなって。」

というのが彼女の保育士になりたい理由らしいです。

別に彼女の思いを否定するわけじゃないけど、何だか胸が苦しくなりました。

だって彼女の優しい気持ちは、きっと仕事に就いても報われないと思ったから。

貧困家庭や不遇に育った女性ほど、自分のために合理的に稼ぐより、人の役に立ちたいという意識を持って低賃金の福祉職に就く傾向がある。p61

保育士になりたい彼女、たぶんAC(アダルトチルドレン)です。

アダルトチルドレンは対人援助職に就く傾向が高いと言われています。

でも実際に対人援助職に就いてみると、被支援者に入り込みすぎて、共依存関係になって、クタクタに疲弊してしまう。

親との悪い関係のせいで無意識のうちに支援職へと誘導させられ、それで疲弊してしまうなんて…

 

ちょっと前に「親ガチャ」って言葉が流行りました。

賛否両論あったけど、正直、私はこの言葉は正しいと思う。

どんな親の元に生まれたかで、人生決められてしまうところはある。

 

私の父親(もう絶縁してますが)は、高給取りだったけど、子どもの心には一切興味なくて、自分の期待を押し付けるだけの親でした。

高級取りじゃなくていいから、普通のサラリーマンでいいから、私と向き合ってくれる父親が欲しかった。

私を私のまま愛してくれてたら、私も自分のことをもう少し好きになれてたと思います。

 

話が逸れましたが、『東京貧困女子』は、毒親のせいで人生狂い、貧困に堕ちた女性が多く出てきました。

同じく毒父のせいで人生狂った私も、運が悪ければ貧困に堕ちてたし、今も貧困と隣り合わせにいるということを強く自覚させられる本でした。

 

終わり。

やる気が出てくる本『自分を好きになろう うつな私をごきげんに変えた7つのスイッチ』

こんにちは~

ゆきほです!

 

うつ病とかうつ状態の人に向けて書かれた本って結構出版されてますよね。

わたしも今までにかなりの数読みましたが、そのなかでもこの本はダントツでおすすめです。

「『自分を好きになろう』」なんてもう聞き飽きたよ…」と思っている人にこそ読んでほしい。

今回は「うつな私をごきげんに変えた7つのスイッチ」がおすすめな理由を書いていきます。
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目次 

 

 

1.「うつな私をごきげんに変えた7つのスイッチ」の基本情報

著者は岡映里さん。

岡さんは、編集者や記者として働いていました。

しかし、東日本大震災をきっかけにうつ病を発症します。

その後、双極性障害へと診断が切り替わりました。

岡さんは、「薬を飲んで体調は良くなったけど、でも何もやる気が起きない、この先何もいいことなんて起こる気がしない」という無力感に悩んでいました。

そんなとき、岡さんのもとに一本の電話がかかってきます。

その電話をきっかけに、少しずつ岡さんが変わっていく…というお話。

  

2.「自分を好きになろう うつな私をごきげんに変えた7つのスイッチ」がおすすめな理由。

①読みやすい!

 おすすめポイントそのいち。

この本は平易な文章で書かれているので、めちゃくちゃ読みやすいんです。

いくら役に立つことが書いてあると分かってても、何100ページもある専門書なんて読めないですよね。

うつ病の本でも、精神科医とか心理カウンセラーの人が書いた本って、だいたい字が小さくて、専門用語がこれでもか!ってほど出てくるので読みづらいんです。

認知行動療法が云々…」みたいな。笑

うつ病でただでさえ疲れやすくなってて本を読む気力なんてないのに、字が小さくて専門用語ばかり並んでたら、絶対に読み切れるわけがない。

 

しかも、いくら専門家が書いた本でも、実際にうつ病を体験したことがない人が書いた本は「知識だけで語ってる感」が強くて、実感がわかない。

それこそ、「うつ病と診断されたらこれこれこーいう薬を飲みましょう。途中で勝手に薬を止めてはいけません。ゆっくり休養してストレスは減らしましょう」みたいなこと書いてる本ってありますよね。笑

 

でも、この本は専門家じゃなくて、ご本人の実体験に基づいて書かれているから、本当に分かりやすい。

著者の岡さんは編集者や記者の仕事をされてきた方なので、文章も簡潔ですごく読みやすいんです。

 

②著者の実体験がとてもリアル

 おすすめポイントそのに。

それは、著者の岡さんの実体験を本当にリアルに綴っているところ。

この本では、岡さんがうつ病双極性障害を患った後、どうやって行動し、立ち直っていったのかが具体的に書かれています。

最初はベッドから出るのもめんどくさくて、ベッドのなかでスーパーの惣菜弁当を食べて、ゴミもベッドのそばに山積みで…の状態だった岡さん。

でも、ある一本の電話をきっかけに、まずはベッドサイドのゴミを捨てた。

ゴミを捨てたら部屋を片付けた。

部屋を片付けたら自分のために料理がしたくなった…

本当に少しずつ行動を起こし、その結果で自信を得て、また行動を起こす。

その積み重ねで岡さんは少しずつ立ち直っていくんです。

その過程がとってもリアルに描かれています。

 

 

3.「自分もやってみよう」と思わせてくれる本は滅多にない

この本のとにかくすごいところは、読んですぐに「自分もやってみようかな~」と思わせてくれるところです。

私たちがこういう本を手に取るとき、そこには「なんとか病気を治したい」という気持ちがあると思います。

抗うつ薬もカウンセリングも続けているけど、いまいち良くなった気がしない。

自分でも何か行動を起こさないといけない気がする。

でも何をどうしたらいいんだろう。

「何か行動したほうがいいのは分かってるけど、でもどうしたらいいか分からない」

そう思っている方に、この本は本当に本当におすすめです。 

著者が赤裸々に自分の体験を語ってくれるからこそ、自分もやってみようかなと思えるんです。

毎日生きづらさを感じているけどどうしたらいいか分からない人にもぜひ読んでいただきたい。

 

そして。

この本のタイトルでもありますが、「自分を好きになる」というのが結局のところいちばん大事なことなんじゃないか…と思う今日この頃です。

だって自分とは死ぬまで付き合わないといけないわけですからね。

他の人とは離れようと思えば離れることができるけれど、自分と離れるなんて無理なわけで。

だったら、少しでも自分のことを好きでいたほうが人生楽しいじゃないですか。

「自分大好き!」ってナルシストっぽいと思われるかもしれないけど、それで人様に迷惑をかけるわけじゃないし。

人生なんて所詮は自己満足なんですから、自分が満足できる人生を送れば文句なしですよね。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

『高校生のわたしが精神科病院に入り自分のなかの神様とさよならするまで』

こんにちは~

ゆきほです!

 

今回ご紹介するのはこちらの本。

 

 

1.神様が現れてからいなくなるまで

この本の著者、もつおさんは最初はどこにでもいる普通の女子高生でした。

ある日の塾の帰り、駅のベンチで母親の迎えを待っていたとき、一つの考えが頭から離れなくなります。

それは「このベンチを触れば明日のテストは最下位じゃないかもしれない」というもの。

ベンチを触るとその声は消えました。

その後、不安になると「モノに触れ」という神様の声が聞こえるようになります。

それからは「周りから不審に思われてるだろうな~」と思いつつも、神様の声に従ってモノに触る毎日。

神様の声はだんだんエスカレートしていき、「食べるな、食べたら悪いことが起きる」という声が聞こえるように。

もつおさんは神様の声に従っているうちにほとんど食べられなくなり、ついには拒食症で精神科病院に入院。

退院後、今度は過食嘔吐になってしまい自分のなかの神様に助けを求めますが、もう神様が出てくることはありませんでした。

そんななかで自分のやりたいことを見つけ、大学に進学する…という実話です。

 

2.私のなかにも神様はいた

この本を読んで「そういえば幼い頃、私のなかにも神様はいたなあ」と思いました。

「神様」と名前をつけているわけではなかったし、著者のようにハッキリとは自覚していなかったけれど、確かに私のなかに神様はいました。

「〇〇しないと悪いことが起こる!」みたいな一種の願掛けみたいなものですね。

例えば、「時」という漢字を「とき」ではなく必ず漢字の「時」と書かないと悪いことが起こる、と思っていたり…

電車は必ず前から2両目に乗らないといけない、と思っていたり…

今振り返ってみるとめちゃくちゃくだらないマイルールだなあと思うのですが、「くだらない」と笑って言えるのは、その命令が命に関わるものじゃなかったからなんですよね。

もし、もつおさんのように「食べるな」とか「寝るな」みたいな命令が私のなかの神様から下されてたら…

そう思うと、怖いです。

 

それにしても、もつおさんが強迫性障害のことを「神様」と表現しているのが本当にすごいなあと思いました。

「〇〇しないと悪いことが起こる」という声を女子高生だった頃から、「神様」としてきちんと可視化(?)されている。

きっと頭の良い方なんだろうなあと思います。

 

そしてこれは余談なんですが、体重が33キロまで減ったときは身体的にも相当辛かっただろうなあと思いました。

私ももつおさんと同じぐらいの身長ですが、去年薬の副作用で42キロまで減ったとき、42キロでもフラフラしてたので。

33キロは座ってるだけでもしんどい…みたいな極限の状況だったのではないかと思います。

 

3.神様は自分の生きづらさを和らげるために自分自身が作り出したもの

もつおさんは自分のなかに神様が現れた理由を分析しています。

それは「自分で自分のことが信じられなくなっていたとき、自分以外に『大丈夫』と言ってくれる存在が欲しかったのだろう」ということ。

「モノに触れば大丈夫」「食べなければ大丈夫」と言ってくれる存在。

それが「神様」だったということです。

 

じゃあなぜ、もつおさんは自分で自分のことが信じられなくなっていたのか。

それは簡単に言うと、「自分の気持ちに嘘をついていた」からでした。

自分の本当の気持ちに気づかないふりをして周りに合わせ、自分がどんどん生きづらくなっていた。

その生きづらさを和らげるために現れたのが「神様」だということです。

 

私がこの本を読んで思ったのは、最初にも書きましたが、

「私のなかにも神様はいたなあ」ということでした。

神様がいたとき、確かに私も生きづらさを感じていました(今でも生きづらいと思うことは度々ですが)。

高校受験前、第一志望の高校に受からなかったら人生の終わりだと思い込んでいたときでした。

受かったらこの先の人生すべて上手くいくけど、落ちたら人生の終わり、みたいな極端な考え方をしていましたね。

20代も後半になった今では「高校受験なんかで人生が決まるわけない」と思えるのですが…

15歳の私は何であんなに追い詰められていたんだろう、と今になって思います。

 

今苦しんでいる人、過去に苦しんだ経験のある人、すべてに読んでほしいと思う本です。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

【独り言】民放の動物番組が好きではない理由。

こんにちは。

Kです!

 

皆さんは、民放の動物番組好きですか?

「〇〇動物園」とか、そういうやつ。

私は正直言って、好きじゃないです。

なんとなく「動物番組が嫌い=動物嫌い=冷たい人」みたいな偏見が自分のなかにもあって、なかなか人には言えなかったんですけど、ブログなので正直に書いちゃいます。

なんていうのかなー。

一言で言うと、

人間のエゴ丸出しで見てられない。

 

捨て犬とか保護犬を拾ってきて芸能人がお世話する、みたいなコーナーがありますよね。

そのお世話してる芸能人が「僕・私は動物に優しくする優しい人ですよ」みたいな雰囲気を出しているのが気に入らないんです。

そのコーナーをスタジオで見ているゲストの人たちも「優しそうな顔」で見ているのが気に入らない。

番組スタッフから出演者まで「私たちは動物を保護しているし、正しいことをやっているんですよ」という雰囲気が気に入らないんです。

それって結局、人間のエゴじゃないですか。

 

私が捨て犬の立場なら「一度捨てたんなら拾うなよ」って思っちゃいそう。

捨てるのか拾うのかどっちかにしてほしい。

 

動物のほうから飼ってくれとたのまれたり、世話をしてくれてありがとうなどとはっきり伝えられたことは、歴史上一度もありません。それだけは確かです。

 

この一文、五味太郎さんという絵本作家さんが書いたものを引用させてもらいました。

 

 

そうなんですよ。

動物が餌をもらって嬉しそうとか、なでてもらって喜んでる、とかはあくまでも人間が勝手に想像しているだけなんですよね。

動物が本当はどう思っているかなんてわかりませんよ、ということ。

 

いわゆる「動物好きの人はやさしい人」という言い方は、あくまで少し変わった動物である人間同士の中で言われることであって、飼われる動物の意見ではないことだけは明らかでしょう。

 

だから私は民放の動物番組は好きじゃないんです。

ちなみに、わざわざ「民放」とつけたのには理由があります。

NHKの「ダーウィンが来た」という動物番組ありますよね。

あれは好きなんです。

あの番組はあくまでも自然のなかで生きる動物を観察したものだから。

動物に対して人間がちょっかいをかけてないから。

だから好きです。

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。