そんな親なら捨てちゃえば?

家族と縁を切る…そんな選択肢があってもいいよね。

『高校生のわたしが精神科病院に入り自分のなかの神様とさよならするまで』

こんにちは~

ゆきほです!

 

今回ご紹介するのはこちらの本。

 

 

1.神様が現れてからいなくなるまで

この本の著者、もつおさんは最初はどこにでもいる普通の女子高生でした。

ある日の塾の帰り、駅のベンチで母親の迎えを待っていたとき、一つの考えが頭から離れなくなります。

それは「このベンチを触れば明日のテストは最下位じゃないかもしれない」というもの。

ベンチを触るとその声は消えました。

その後、不安になると「モノに触れ」という神様の声が聞こえるようになります。

それからは「周りから不審に思われてるだろうな~」と思いつつも、神様の声に従ってモノに触る毎日。

神様の声はだんだんエスカレートしていき、「食べるな、食べたら悪いことが起きる」という声が聞こえるように。

もつおさんは神様の声に従っているうちにほとんど食べられなくなり、ついには拒食症で精神科病院に入院。

退院後、今度は過食嘔吐になってしまい自分のなかの神様に助けを求めますが、もう神様が出てくることはありませんでした。

そんななかで自分のやりたいことを見つけ、大学に進学する…という実話です。

 

2.私のなかにも神様はいた

この本を読んで「そういえば幼い頃、私のなかにも神様はいたなあ」と思いました。

「神様」と名前をつけているわけではなかったし、著者のようにハッキリとは自覚していなかったけれど、確かに私のなかに神様はいました。

「〇〇しないと悪いことが起こる!」みたいな一種の願掛けみたいなものですね。

例えば、「時」という漢字を「とき」ではなく必ず漢字の「時」と書かないと悪いことが起こる、と思っていたり…

電車は必ず前から2両目に乗らないといけない、と思っていたり…

今振り返ってみるとめちゃくちゃくだらないマイルールだなあと思うのですが、「くだらない」と笑って言えるのは、その命令が命に関わるものじゃなかったからなんですよね。

もし、もつおさんのように「食べるな」とか「寝るな」みたいな命令が私のなかの神様から下されてたら…

そう思うと、怖いです。

 

それにしても、もつおさんが強迫性障害のことを「神様」と表現しているのが本当にすごいなあと思いました。

「〇〇しないと悪いことが起こる」という声を女子高生だった頃から、「神様」としてきちんと可視化(?)されている。

きっと頭の良い方なんだろうなあと思います。

 

そしてこれは余談なんですが、体重が33キロまで減ったときは身体的にも相当辛かっただろうなあと思いました。

私ももつおさんと同じぐらいの身長ですが、去年薬の副作用で42キロまで減ったとき、42キロでもフラフラしてたので。

33キロは座ってるだけでもしんどい…みたいな極限の状況だったのではないかと思います。

 

3.神様は自分の生きづらさを和らげるために自分自身が作り出したもの

もつおさんは自分のなかに神様が現れた理由を分析しています。

それは「自分で自分のことが信じられなくなっていたとき、自分以外に『大丈夫』と言ってくれる存在が欲しかったのだろう」ということ。

「モノに触れば大丈夫」「食べなければ大丈夫」と言ってくれる存在。

それが「神様」だったということです。

 

じゃあなぜ、もつおさんは自分で自分のことが信じられなくなっていたのか。

それは簡単に言うと、「自分の気持ちに嘘をついていた」からでした。

自分の本当の気持ちに気づかないふりをして周りに合わせ、自分がどんどん生きづらくなっていた。

その生きづらさを和らげるために現れたのが「神様」だということです。

 

私がこの本を読んで思ったのは、最初にも書きましたが、

「私のなかにも神様はいたなあ」ということでした。

神様がいたとき、確かに私も生きづらさを感じていました(今でも生きづらいと思うことは度々ですが)。

高校受験前、第一志望の高校に受からなかったら人生の終わりだと思い込んでいたときでした。

受かったらこの先の人生すべて上手くいくけど、落ちたら人生の終わり、みたいな極端な考え方をしていましたね。

20代も後半になった今では「高校受験なんかで人生が決まるわけない」と思えるのですが…

15歳の私は何であんなに追い詰められていたんだろう、と今になって思います。

 

今苦しんでいる人、過去に苦しんだ経験のある人、すべてに読んでほしいと思う本です。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!